東京パラリンピックの思い出

第13回 ストークスマンデビル競技会 東京大会1964

(パラリンピックの名称は1988年までは正式には使用されていなかった)

 

  • 到着: 空港に到着した我々選手団はバスでの選手村に向かった。警察官の護衛がとても印象的だった。
  • 選手村: 選手村は、食堂、ID発行所、練習会場などがそれぞれ近い場所にあったので、選手たちにはとても好評だった。
  • 開会式: 皇太子ご夫妻(現天皇皇后両陛下)が、パラリンピックの生みの親であるルートヴィッヒ・グッドマン博士とともに臨席された。風船を頭につけた剣道の選手のエキジビションなど、とても見ごたえのある開会式だった。
  • 競技について: イギリス国内でのストークスマンデビル競技会で、水泳と車いすフェンシングで好成績をあげた私は両種 目でイギリス代表選手となった。車いすフェンシングの団体戦で銅メダル、水泳で銀メダルを獲得した。 出場した他の種目でもほとんど4位になったが、当時は4位にはメダル授与はなかった。
  • 車いすフェンシング競技会場は小さかったが、よく準備されていた。日本の皇女が競技会にこられ、 我々選手は古いしきたりにのっとった方法で敬礼した。
  • 当時の車いすフェンシング競技はまだ整備されていず、試合中、車いすはボランティアの人が動かないように押さえていた! 現在では、車いすはフレームに固定され、全ての装具はFIEの認定を 受けている。私はエペとサーブルに出場した。
  • 閉会式:閉会式は日本政府主催で、大きな体育館で行われ、その後、各国の競技者、コーチなどのスタッフやエスコート、ボランティアたちが集まってパーティーを楽しんだ。
  • イギリスチームは皇居や東京タワーを訪れ、富士山も見ることができた。東京での買い物も楽しんだ。
  • イギリスに戻るフライトは、北極経由(多分アンカレッジ)、ベルリン、パリ、と乗り継いで、やっとロンドンにたどり着いた。
  • 帰国後、イギリス選手団は首相官邸(No 10 Downing Street)に招かれる光栄を浴し、首相、政府要人、日本大使にお目にかかった。
  • 1964年の東京パラリンピックは私が最初に参加したパラリンピックなので、特に思い出深い大会となった。東京では多くの友人ができ、現在でも日本の車いすフェンシングチームには特別の親しみを感じている。