JWFA Friends


 

Brian Dickinson

 

日本車いすフェンシング協会の最初のヨーロッパ遠征は1998年7月、ドイツ、オイスキュルヘンで開催された世界選手権でした。役員4名、選手4名、総勢8名で、全く新しい世界に飛び出したのでした。その大会の初日、国際車いすフェンシング協会の当時の事務局長、ブライアンディッケンソン氏が私たちに声をかけてくださいました。

 

「僕は、1964年の東京パラリンピックに選手として出場しました。車いすフェンシングの競技会に、日本から選手が来てくれることを心待ちにしていました」

 

温かい大きな手と握手して、そこから、日本車いすフェンシング協会とディッケンソンさんとのご縁がスタートしました。車いすフェンシングに関して、わからないことは全てディッケンソンさんにメールで問い合わせながら、パラリンピック出場も含めて、私たちの活動が続いていったのです。

2001年には、ディッケンソンさんご夫妻が来日、京都で講演会を開催、香港の選手たちとの競技会も実施することができました。イギリスの障がい者スポーツの重鎮であるディッケンソンさんから、現在も日本車いすフェンシング協会へのサポートは続いています。

 

ディッケンソンさんの、東京パラリンピックの思い出、その後の活動、日本のフェンサーに向けてのメッセージをご覧ください。

 

>>東京パラリンピックの思い出

 

>>主な成績や経歴

 

>>日本のフェンサーに向けてのメッセージ